吉敷毛利家菩提寺
曹洞宗、黄龍山玄済寺は、吉敷毛利家の始祖秀包(ひでかね)公が、長門市湯本・大寧寺十八世鉄村玄さく和尚を開山として迎え、豊浦郡豊北町阿川に創建した。はじめ黄龍山江見寺と言ったが、のちに秀包公の法号、瑞光院殿玄済道叱(どうひん)大居士からとって、玄済寺と改めた。
寛永二年(一六二五)秀包公の孫元包(もとかね)公の時、領地替によって当地に移住、以来吉敷毛利家の菩提寺として現在に至っている。
なお境内山手には吉敷毛利家歴代(初代~十七代)一族の墓が整然とまつられており、往時をしのばせている。